1.5月の経営環境と見え隠れするインフレの波
ゴールデンウィークの連休も終わり、新緑の眩しい季節となりましたが、院長先生をはじめ経営者の皆様はいかがお過ごしでしょうか。 例年、5月は飼い主様のお財布の紐が固くなる時期です。大型連休での出費が嵩んだことに加え、自動車税や固定資産税などの納税通知書が届き、家計が緊縮財政に向かいやすいからです。春の予防シーズン(狂犬病、フィラリア、ノミダニなど)に関しては、3~4月に来院される患者さんと比べたら、GW以降に来院される患者さんの方が一般的に客単価は低いと思います。患者さんの意識が高いか低いかという視点だけでなく、経済情勢がどのように現場に作用しているか。鵜の目鷹の目で検証する必要があるでしょう。
2.データが示す飼い主の家計状況
ターゲットとなる飼い主の動向を冷静に整理してみましょう。厚生労働省の「国民生活基礎調査」によれば、日本人の世帯年収はピークだった1994年の664万円から、直近(2023年)では536万円へと約2割ダウンしています。2024~2025年の数値はお上の発表にタイムラグがあり確認できませんが、この30年程で家計から年間128万円もの余裕が消え去っています。”失われた30年”と言うのは簡単ですが、減少額の累計はじつに3800万円ほどになります。このダメージは根が深く、小手先の政策で回復するとは考えられません。
また、生活意識の低下も顕著です。空前のペットブームに沸いた2001年当時、生活に「大変ゆとりがある」「ややゆとりがある」「普通」と答えた世帯の割合は48.5%でした。犬などの維持費がかかるペットは、本来こうした経済的・精神的ゆとりのある層に飼育されてきましたが、直近の調査ではその割合が41.2%まで減少しています。
3.経営戦略の方向転換が求められる
諸物価が大幅に上がっている現状は、一般消費者の生活を確実に圧迫しています。企業の業績がそれに伴って上昇し、賃金も順調に上がれば良いのですが、現実はそう甘くありません。
経営の現場に目を向けると、原価や人件費や固定費が否応なく上がる中で、患者さん向けの料金改定のタイミングや匙加減を思い悩むという、非常に舵取りの難しい局面を迎えています。この強い旋風の中で会社を繁盛させるには、経営者の手腕が問われます。
4.経営のスクリーニング
それでは、あなたの会社における経営状態(バイタルサイン)は適正でしょうか?いろいろと点検すると、経営の歪み(異常値)が早期発見できます。
【原価率】
諸物価(原価)が高騰していると、原価率が上昇しているかもしれません。ここ数年の推移を確認してみてください。また、業界平均とも比べて、適正かどうかも要チェックです。その際、外科比率が高いか低いかで原価率はブレますから、そこも織り込んでの検証が必要です。
【人件費比率】
最低賃金が上昇すると、人件費比率が上がりやすいです。ここ数年の推移を確認してみてください。また、業界平均とも比べて、適正かどうかも要チェックです。その際、獣医師の人員構成比によってブレますから、そこも織り込んでの検証が必要です。
【営業利益】
原価率や人件費比率が上がると、営業利益が減少します。ここ数年の推移を確認してみてください。また。業界平均とも比べて、適正かどうかも要チェックです。その際、役員報酬の割合によってブレますから、そこも織り込んでの検証が必要です。
※ここまでは、管理会計で毎月集計できていれば(ベースをとっていれば)、タイムリーに異常値に気付きます。が、そのような管理会計をトリアージしている場合は、異常の早期発見が遅れ、経営を拗らせるリスクがありますので、注意が必要です。拗らせた場合の損失額を考えると、売上の数パーセントが蒸発しかねません。例えば1億円の事業規模であれば、数百万円に相当します。管理会計をトリアージすることの恐ろしさ、重々ご承知おきくださいませ。
【診療料金体系】
原価率や人件費比率が上がり、営業利益が減少している場合は、診療料金体系の見直しが遅れている可能性があります。個別の仕入れ原価が上昇した場合は、その都度料金改定などはされているかと思いますが、そもそもの診療料金体系は適正でしょうか。業界平均よりも高いのか安いのか。病院の診療レベルを鑑みると、客単価は適正なのかどうか。ここ数年の推移を確認してみてください。この数年で諸物価や最低賃金が上昇していますから、診療料金体系もそれなりに上昇していなければ辻褄が合いません。それを適正化するのが後手に回ってしまうと、純利益が溶けてしまうでしょう。
いかがでしょうか。ほんの数項目をスクリーニングするだけで、経営の歪み(異常値)が発見できます。院長先生は臨床の現場で飼い主に対して病気の早期発見の重要性を啓蒙していることと思います。「フィラリアの検査のついでに血液検査(スクリーニング)しましょう」「年1回はドックを受診しましょう」と。それと同じで、経営者たるもの、管理会計(マネジメント)や診療料金体系の見直し(マーケティング)といったルーティーンを適切に回して、異常値を早期発見する必要があります。
5.ゴーイングコンサーン
値上げのための心の準備として、商売の原理原則を確認しておきます。近江商人の”三方よし”という考え方です。「商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」という趣旨ですが、その順番に意味があります。(1)売手よし、(2)買い手よし、(3)世間よし、の順です。まずは、売り手が適切な利益を確保しなければ、商いは継続できません。経営者である以上、会社を存続させる「サバイバル」を最優先に考える必要があります。根がまじめな人ほど、「商売っ気丸出しのエゴは慎むべきだ」と嫌悪感を覚えるかもしれませんが、そのエゴにみえる原理原則が、鵜の目鷹の目でみると、お客さん(患者さん)や世の中の為でもあるのです。不況期こそ格好をつけず、「適切な利益確保という商売の原理原則」に立ち返ることをお勧めします。
6.必需品と嗜好品で見極めるメリハリのある価格設定
医薬品の仕入れ原価上昇や人件費高騰を吸収するために、診療料金体系の見直し(値上げ)はやむを得ません。しかし、上記の通り飼い主の家計状況は厳しいですから、単に全メニューを一律で値上げするのは危険です。「抑えるべきところは抑え、上げるべきところは上げさせていただく」というメリハリが求められます。 動物病院におけるメリハリとは、その診療項目が飼い主にとって「生活必需品(日常的なケアや必須の予防)」なのか、それとも「高度な医療・選択的なサービス(専門性の高い手術やペットドックなど)」なのかを見極めること。そして、そのシェアがどれくらいなのかを把握したうえで、最適な値付けをすることです。
必需品における安直な値上げがいかに危険かを示すケースステディとして、清涼飲料水の自動販売機業界が挙げられます。かつて100円前後だった自販機のペットボトル飲料は、今や180〜200円が当たり前となりました。その結果、客離れが起き、自販機の設置台数はピーク時(2013年頃の約267万台)から約18%減少し、2024年末時点では約220万台へと縮小しています。
スーパーやドラッグストアのプライベートブランド(PB)商品やナショナルブランド(NB)のデッドストック品などが100円前後で買える中、自販機の割高感が敬遠されたのです。自販機だろうがスーパー・ドラッグストアだろうが、売っている商品に大差がないのですから、消費者は安いに越したことはありません。このケーススタディは、低価格・高頻度で購入される「必需品」の価格設定のデリケートさを物語っています。
一方で、必需品であっても適切に価格改定を実施している例もあります。圧倒的なブランド力とシェアを持つ「崎陽軒のシウマイ弁当」です。その価格推移を見てみましょう。
2018年頃 860円
2022年10月 860円 → 900円
2023年10月 900円 → 950円
2025年 2月 950円 → 1,070円(120円の大幅値上げ)
2026年 2月1,070円 → 1,180円(110円値上げ)
自販機業界の清涼飲料水とは違い、これらの値上げによって大幅な客離れは起きず、売上は伸びています。さすが、1日に2万個以上売れるロングセラーの看板商品です。しかし、その実情は、原材料・人件費の高騰が値上げを上回っており、利益は半減しています。つまり、コスト圧力の激しさを物語っています。崎陽軒の決算書をみると、経営者の健気さに同情してしまうと同時に、昨今の経営環境における舵取りの難しさを再認識させられます。
それでは、もう一段ギアを上げます。スタグフレーションに適応していく上でベンチマークすべき事例を共有します。
明治の「きのこの山」「たけのこの里」、グリコの「ポッキー」のような予算が限られた商品です。消費者が買い物慣れしていて、競合状況もシビアな商品ですから、シェアの高い商品と言えども、下手な値上げは許されません。そのような経営環境の中、これらの商品は「容量と価格の見直し」を図っています。「きのこの山」を検証してみると、2000年頃の98g(200円)から段階的に内容量を減らし、近年では74g、さらに66gへとダウンサイズしながら価格も調整(値上げ)しています。現在では66g(265円)です。1gあたりで比較すると、2000年頃は2.04円/gが2025年5月に4.02円/gとなり、実質的な値上げ率は+97.1%です。”ステルス値上げ”と揶揄されそうですが、予算が限られるゆえの工夫としては評価できると思います。それらの企業努力により、明治はチョコレート市場のシェア25.3%(2024年度)を獲得しています。(出典:2024年度インテージ社SRI+)
上場企業の営業利益率平均は6~7%と言われていますが、明治の営業利益率は7~9%台を推移してます。
7.動物病院の対策:レバレート(時間単価)の適正化とオペレーション改善
労働集約型の専門サービス業である動物病院がプロアクティブな経営を目指し、「きのこの山」のような値上げの手法をベンチマークするには、「レバレート(時間あたりの労働単価)」を意識した診療体制の構築が不可欠です。
例えば、再診や日常的なケアは、生活必需品に近い労働集約型のサービスです。これをレバレートの視点で見直す場合、単に料金を上げるのではなく「1件あたりの診察時間の短縮(時短)」を図ることが現実的です。 これまで1件の診察に30分かけていたものを20分に、20分かけていたものを15分に短縮できれば、時間あたりの生産性は大きく向上し、実質的な値上げと同等の経営効果をもたらします。
当然ながら、時短によって問診不足や見落とし、過少診療が発生しては本末転倒であり、飼い主の不信感を招きます。それを防ぐための仕組みづくりが欠かせません。
【事前WEB問診の徹底】
来院前にスマートフォンで症状や経緯を入力してもらうことで、診察室でのヒアリング時間を大幅に削減します。
【予約システムの浸透】
当日フリー来院による突発的な混雑を防ぎ、スタッフの動きを平準化することで、無駄な待ち時間と対応時間を減らします。
【獣医師・動物看護師のタスクシフト】
経験年数の浅い獣医師や動物看護師が事前にカルテの予習や検査の準備を済ませ、院長は診断とインフォームドコンセントに集中できる体制を作ります。
これらのオペレーション改善を行うことで、診療の質を落とさずに時間単価を上げることが可能になります。
8.高度医療や選択的サービスにおける適切な価格改定
一方で、各種画像診断、全身麻酔を伴う手術、歯科処置、詳細なペットドックなどは「専門性の高い選択的医療(趣味・嗜好品に近い性質)」に該当します。こうした命や高度なQOLに関わる領域は、飼い主も価格以上に「安心感」や「確かな技術」を求めているため、値上げが受け入れられやすい部分です。 最新の医療機器の維持費や、専門知識をアップデートし続ける獣医師の技術料を正当に評価し、この数年で諸物価や最低賃金が上昇した分を段階的に価格改定(値上げ)できると思います。ただし、上げ幅にも程度があります。業界の相場を調査して、自院の症例毎のシェアを参照したうえで、力相応に値付けしなければ、足元をすくわれる(転院されてしまう、ネガティブなクチコミを書かれてしまう)ので、戦略的に取り組まなければならないでしょう。
9.おわりに:不況期こそ原理原則に基づいたサバイバル経営を
「便乗値上げのような阿漕(あこぎ)な真似はしたくない」「セコいことをして飼い主様の信用を失いたくない」という、獣医師としての使命感や誠実なお気持ちは痛いほど分かります。無理にお勧めするものではありません。 しかし、医薬品の高騰や最低賃金の上昇によるダメージを、企業努力という名目で病院やスタッフだけで抱え込むことには限界があります。もしも先生の病院が経営難で閉院や規模縮小に追い込まれてしまったら、通い慣れた地域の飼い主や動物たちやスタッフや利害関係者が路頭に迷い、最も悲しむ結果となります。
なお、人医では、診療報酬改定について、賃上げ分や物価対応分を織り込んで、令和8年度で2.41%、令和9年度で3.77%上がることが決まっています。保険診療でこの状況ですから、自由診療の獣医療たるや、それなりに上げなければなりません。
ですから、不況期こそ格好つけず、「適切な利益確保という商売の原理原則」に立ち返ることをお勧めします。
「まずは経営のスクリーニングしておかないとなぁ」「プロアクティブに経営したいなぁ」
もし、このような経営課題を感じていらっしゃる場合は、ぜひ一度、弊社の無料の経営相談等をご活用ください。動物病院業界の知見のみならず、小売・サービス業のコンサルティング実績に基づいた第三者の視点が入ることで、スタグフレーションのような経営課題がスッと整理されることが多々あります。
読者諸賢の動物病院がさらなる飛躍を遂げられますことを心よりお祈り申し上げます。





